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ノースリーからいける奴

2019.01.17
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ほぼ野球専門店アラキスポーツの荒木 康です。

 

 

ノースリー

 

 

今では、スリーボールノーストライクと言われていますが、僕はノースリーという響きの方が好きです。

 

 

ある時期を境に、日本もストライク・ボールの表示を世界基準のBSOに統一しました。

 

 

 

 

最近の若い子達の間では、当たり前となっているBSOも、僕にとってはまだまだ違和感が残ります 笑

 

今日は、そんなノースリーについての物語を話したいと思います。

 

 

先日、母校野球部の同期会(新年会)に参加してきました。僕だけ、遠方に住んでいるので、実に15年ぶりの参加になりました。

 

当時と変わらない方や、あまり面影がない方など、本当に様々でした 笑

 

皆と話しているうちに、同級生の印象に残るシーンが走馬灯のように思い出されました。

 

その中でも、ノースリーから見事にレフト前ヒットを打った彼の光景は忘れられませんでした。

 

そのときの話を彼に聞くと、なるほどだから現在も成功しているのかと、思わずうなづいてしまいました。

 

彼は当時、長い怪我から復帰したばかりであり、その影響で打者転向を強いられていました。

 

そして、強豪校のため部員数が非常に多く、チャンスなどなかなか回って来ない状態でした。

 

そんな状況で掴んだ大切な一打席の価値を彼は分かっていました。

 

しかし、代打で意気込んで入った打席では、たちまちノースリーとなり、ファアボールになるのかなあと思った次の瞬間

 

 

目の覚めるような打球が三遊間を抜けていました!

 

野球界では、ノースリーとなった時点で一球待つというのが慣例であります。

 

この光景に驚いたのと同時に、ベンチ内では監督さんが、ナイスバッティングと称えていました。

 

確かに、一球待てと言うサインは出ていなかったけど、なんの躊躇もなくバットを振り抜く彼を見て、凄いなあと感心したのを覚えています。

 

 

結局、彼はこの一打席で監督のハートをがっちりと掴み、その後も度々起用されました。

 

 

そして、選手権予選でも大活躍をして、その後は大学に進学。そこから、素晴らしい就職先にも進み、そこでもかなりの活躍をしています。

 

彼は言いました

 

 

あの時、代打でフォアボールを選んでいても、なんのインパクトも与えられないと思ったから、思い切ってノースリーから振ったと。

 

 

彼は、自らの人生を切り開くため、リスクを恐れずに決断した結果が、今なんだと思います。

 

あの時の打席だけでなく、彼は人生の岐路に立つ度に、決断して一歩踏み込んできたんだと思います。

 

まさに、あの時の決断と思い切りが、未来の扉を開いたんだと思わせてくれた、そんなエピソードでした。

 

 

さあ野球やろうぜ!

 

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